ロッキー藤井の失敗学 ⑪

世界中をデジタル化したのに、
自分だけ77年間見えていなかった(笑)

何度倒れても、また立ち上がる。ロッキー藤井です。
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何度倒れても、また立ち上がる。
ロッキー藤井です。

私はこれまで、いろいろな「見えないもの」を見えるようにしてきました。
最初は、お客さまの状態と変化。
次は、料理人の勘。
そして最後に挑んだのが、人間の心です。

ところが、最も身近にいた人間の心だけは、77年間、まったく見えていませんでした。
その人間とは、もちろん私です。

世界中のお客さまの動きは見えた。
スープの濃度も見えた。
料理人の勘まで数字にした。
しかし、自分の癇癪玉が、いつ、なぜ爆発するのかは分からない。
今から思えば、かなり不思議な技術者です(笑)。

今日は、飛行機と20万トンタンカーの設計から始まり、
最後には人間の心をデジタル化しようとしてしまった、私の51年間の物語です。

飛行機には、路肩がない

私は若い頃、川崎重工で設計の仕事をしていました。
最初に携わったのは、飛行機の設計です。
飛行機は空を飛ぶ機械です。
設計を間違えても、「少し調子が悪いので、路肩に止めます」というわけにはいきません。
空には路肩がありません。

設計図に、
「翼の角度は、だいたいこのくらい」
「強度は、おそらく大丈夫」
「最後は操縦士の勘で」
などとは書けないのです。
すべてを計算し、数字で確認し、誰が見ても同じように理解できる図面にしなければいけません。

このときに身についたのが、
・見えないものを数字にする。
・複雑なものを、誰でも分かる形にする。
・感覚ではなく、再現できる仕組みにする。
という技術者としての考え方でした。

その後、私が携わったのは、20万トンタンカーの設計です。
今度は、空から海へ。飛行機の次が、20万トンタンカーです。
当時の私は、「この世で設計できないものは、ほとんどない」くらいに思っていたのかもしれません。

しかし、今になって分かりました。
飛行機もタンカーも設計したのに、自分の人生だけは、設計図なしで走り始めていたのです。
しかも、操縦士も船長も私。設計図もない。取扱説明書もない。止める人もいない。少し危ない会社でした(笑)。

20万トンタンカーから、うどん一玉へ

51年前、私は川崎重工を退職し、独立しました。
そして始めたのが、製麺機の製造販売です。
20万トンタンカーを設計していた人間が、次に向き合ったのは、数百グラムのうどんでした。

20万トンから、うどん一玉。扱う重量は、一気に小さくなりました。
しかし、難しさは、まったく小さくなりませんでした。

麺は実に繊細です。
小麦粉の状態が違う。水分量が少し違う。温度が少し違う。熟成時間が少し違う。
それだけで、出来上がりが変わります。
タンカーは、少しくらい機嫌が悪くても、顔には出しません。
しかし、うどんはすぐに、「今日は、いつもと違います」という顔をします。

しかも、お客さまは、その違いにすぐ気づきます。
「昨日のほうがおいしかった」
この一言は、20万トンタンカーより重いのです(笑)。

私は製麺機を開発し、製造し、販売しながら、どうすればお客さまが安定しておいしい麺を作れるのかを研究し続けました。
やがて、大和製作所の製麺機は、国内だけでなく、海外にも広がっていきました。
しかし、その成長のきっかけになったのは、製麺機の性能だけではありませんでした。
私が最初に取り組んだ、マーケテイングの「デジタル化」が、大きな力になったのです。

最初のデジタル化は、デジタルマーケティングだった

どれほど良い製麺機を作っても、お客さまに知ってもらわなければ売れません。
製麺機は、自分で歩いて営業に行ってくれません。倉庫の中で、実におとなしく座っています。
私が、「君は良い製麺機なのだから、少しくらい自分で売ってきなさい」と言っても、一歩も動きません。
高価な機械なのに、営業力はゼロです(笑)。

当時、製麺機を販売する一般的な方法は、営業担当者がお客さまを一軒一軒訪問することでした。
しかし、それでは時間も人手もかかります。日本全国を営業担当者だけで回っていたら、北海道へ到着する頃には、香川県のお客さまに私の顔を忘れられてしまいます。

そこで私が最初に取り組んだデジタル化が、デジタルマーケティングでした。
最初は、住所、店名の登録から始め、最終的にはインターネットを使って、製麺機の情報だけでなく、麺づくりや繁盛店づくりに役立つ情報を発信する。
どこの地域の人が、何を探しているのか。どの情報を読んでいるのか。何に困っているのか。どこから問い合わせが来たのか。
それまで見えなかったお客さまの動きが、数字で見えるようになりました。

そして、デジタルマーケティングを早期に始めたことで、営業担当者だけでは何年もかかる国内市場を、短期間で広くカバーすることができました。
香川県にいながら、北海道、東北、関東、中部、関西、九州のお客さまにも、大和製作所のことを知ってもらえるようになったのです。

さらに、デジタルには国境がありません。
海外へも情報を発信することで、世界各国から問い合わせが入るようになりました。
私は飛行機を設計していたのに、今度はインターネットに乗って海外へ飛び始めたのです。しかも、航空券は不要です。パスポートも要りません。時差も関係ありません。
営業担当者が寝ている間も、ホームページは世界中で働いてくれます。文句も言わず、残業代も請求せず、24時間働き続けます。
今の時代なら、少し問題になりそうな働かせ方です(笑)。

こうして大和製作所は、早期に国内市場をカバーし、その勢いで海外市場へ進出することができました。地方の小さな製麺機メーカーが、日本全国、そして世界を相手にできるようになったのです。
私がデジタルの威力を最初に実感したのは、このときでした。

・見えなかったお客さまが見える。
・距離の壁を越えて情報を届けられる。
・数字で確認すれば、改善できる。
・改善を繰り返せば、成果を再現できる。
デジタルマーケティングは、単なる広告手法ではありませんでした。大和製作所が早期に国内市場をカバーし、世界へ進むための成長エンジンだったのです。

そして、この成功体験が、私の次の問いにつながりました。
お客さまの行動をデジタルで見える化できるなら、料理人の「勘」も見える化できるのではないか。
ここから、私の二番目のデジタル化が始まりました。

料理人の「勘」に、数字を持ち込んだ

料理の世界では、昔から、よくこんな言葉が使われます。
「このくらい」「いい感じになるまで」「沸騰を始めそうになったら」「長年の勘です」
料理人にとっては、自然な言葉です。しかし、技術者の私にとって、「いい感じ」は最も困る言葉です。

飛行機の図面に、
翼の長さは、いい感じで。
角度は、職人の勘で。
強度は、たぶん大丈夫。
と書いてあったら、私はその飛行機には乗りません。
20万トンタンカーの図面に、
船体の厚さは、このくらい。
最後は船長の経験で。
と書いてあったら、その船にも乗りたくありません。
ところが、料理の世界では、それが普通に行われていたのです。

そこで私は、料理人の勘を数字に置き換えようと考えました。
材料の重量。水分量。温度。時間。スープ濃度。塩分濃度。
経験豊富な料理人が感覚で判断していたものを測定し、数字で記録し、誰でも再現しやすい形に変えていく。
こうして開発したのが、「Digital Cooking」です。

料理人からすれば、ずいぶん無粋な人間だったと思います。
料理人が、「最後は愛情です」と言っている横で、私は、「その愛情は何グラムですか」と聞きかねない勢いでした(笑)。

しかし、Digital Cookingによって、料理の品質を安定させ、経験の浅い人でも、熟練者の味へ近づけることが可能になりました。
世界中、どこでも、誰でも同じように高品質なスープを作れるようになったのです。
この取り組みは、『カンブリア宮殿』をはじめ、さまざまなメディアにも取り上げられ、注目されました。

デジタルマーケティングでは、お客さまの動きを見える化した。
Digital Cookingでは、料理人の勘を見える化した。
私は、だんだん調子に乗ってきました。
見えないものでも、数字にすれば見える。世の中に、デジタル化できないものはない。
少し危険な技術者です(笑)。
しかし、そんな私の前に、これまでとは比較にならないほど難しい研究対象が現れました。

社長を辞めたら、突然、自分が見えてきた

2025年、私は50年間経営した大和製作所を長男へ承継し、社長を退任しました。
会社を離れ、少し距離を置いて自分の人生を振り返ったとき、今まで見えていなかったものが、突然見え始めました。
それは、市場でも、製麺機でも、料理でもありません。私自身です。

私は、思いどおりにならないことがあると、癇癪玉を破裂させていました。
会社や家族のために頑張っているつもりで、周囲を自分の思いどおりに動かそうとしていました。
「子どもは親の持ち物」という無意識もありました。
自分が犠牲になってでも、周囲を背負おうとする習慣もありました。
人に任せられず、何でも自分でやろうとしていました。
ところが、本人だけが、まったく気づいていません。

飛行機の問題は発見できる。20万トンタンカーの問題も分析できる。製麺機の異常も分かる。お客さまの動きも見える。麺の水分量も測れる。スープの濃度も測れる。
しかし、自分の癇癪玉が、なぜ、いつ爆発するのかは分からない。

デジタルマーケティングで、世界中のお客さまの動きを見えるようにした。
Digital Cookingで、料理人の勘まで見えるようにした。
ところが、最も身近にいた自分自身だけが、77年間見えていなかったのです。
ずいぶん長い測定時間でした(笑)。

心の中をデジタル化しようと考える人は、ほとんどいない

そこで私は考えました。
人間の心の中も、見える化、デジタル化できないだろうか。

そもそも、心の中をデジタル化しようと考える人は、ほとんどいません。
心は感じるものであって、測るものではない。
愛は何点。恐れは何%。感謝は何グラム。癇癪玉は何デシベル。
そんなことを真剣に考えている人がいたら、普通は少し距離を置きます。

しかし、私は技術者です。見えないものがあれば、見えるようにしたくなります。
料理人の勘をデジタル化した人間が、ついに人間の心へ手を出してしまったのです。
飛行機。20万トンタンカー。製麺機。デジタルマーケティング。Digital Cooking。そして最後は、人間の心。
対象が、どんどん見えなくなっています(笑)。

心には、温度計も塩度計も使えなかった

料理の世界では、測定器が役に立ちました。
温度計を入れれば、温度が分かります。塩度計を使えば、塩分が分かります。屈折計を使えば、スープの濃度も分かります。

しかし、人間の心には、測定器を入れられません。
怒っている人の額に温度計を当てても、分かるのは体温だけです。
塩度計を当てても、その人が「しょっぱい性格かどうか」は表示されません。
私の癇癪玉が破裂する直前に、警報を鳴らしてくれる装置もありませんでした。
「ピーピーピー。藤井薫、あと30秒で爆発します。周囲の社員は避難してください」
そんな装置が51年前にあれば、多くの社員が助かったと思います(笑)。

心の見える化、デジタル化は、私がこれまで取り組んだ中で、最も難しいテーマでした。
なぜなら、心は直接見ることができないからです。数字を測ろうとしても、測定器がありません。同じ出来事が起きても、人によって受け止め方が違います。昨日と言っていることが、今日には変わることもあります。本人が、自分の本心に気づいていないことさえあります。
そして最大の難関は、研究する側の人間も、自分の心が見えていないことでした。
もちろん、その「研究する側の人間」とは、私です。

世界初の研究対象は、私だった

私は、まず自分自身を研究することになりました。
なぜ、思いどおりにならないと腹が立つのか。
なぜ、社員や家族を、自分の思いどおりに動かそうとするのか。
なぜ、「会社と家族のため」と言いながら、自分一人で背負い込むのか。
なぜ、子どもの人生にまで口を出してしまうのか。
なぜ、人に任せられず、何でも自分でやろうとするのか。

調べれば調べるほど、いろいろなものが出てきました。
癇癪玉。「子どもは親の持ち物」という思い込み。自分が犠牲になってでも、周囲を背負おうとする習慣。失敗を恐れ、人に任せられない自分。
まるで、77年間、一度も掃除していなかった倉庫です。扉を開けるたびに、「まだ、こんなものが残っていたのか」というものが出てきます。

私は51年間、製麺機の点検をしてきました。お客さまにも、定期点検の大切さを伝えてきました。
ところが、自分自身は77年間、点検なし。部品交換なし。取扱説明書なし。それでも、よく動いていたものです(笑)。
しかも、研究対象の第一号に、私は自分から応募した覚えがありません。気がついたら、研究者も私。被験者も私。不具合を起こしていた製品も私でした。一人三役です。
費用はかかりませんが、少しややこしい研究です(笑)。

心そのものではなく、心が生み出すパターンを見る

心を機械のように、直接測ることはできません。
しかし、過去の体験、価値観、恐れ、思い込み、行動、そして現実に起きている結果を丁寧につなげていくと、繰り返されるパターンが見えてきます。

何が起きたときに反応するのか。その出来事を、どのように受け止めるのか。どのような感情が生まれるのか。その結果、どのような判断をするのか。どのような行動を取るのか。その行動が、会社や家族にどのような結果を生み出すのか。
これらのつながりを整理すると、今まで見えなかった「根本原因」が見えてきます。
私は、それを「根っ子」と呼ぶことにしました。

過去の体験

心の根っ子

感情・判断

行動

会社と人生に現れる成果

さらに、根っ子に気づいた後、行動を変えることで、結果がどう変化するのかを追っていく。
今まで本人にも見えなかった心の働きを、質問、対話、数値、言葉、行動の記録によって、理解できる形にする。
これが、私の考える「心の見える化、デジタル化」です。そして、この仕組みから生まれたのが「根っ子学」です。

世界で初めての挑戦だった

人間の心を研究する学問は、すでにたくさんあります。
心理学があります。性格診断があります。適性検査があります。脳科学や感情分析もあります。
しかし、私が取り組んだのは、それらとは違うものでした。

経営者の過去の体験。そこから生まれた信念、価値観、恐れ、思い込み。それらが、日々の判断や行動にどのような影響を与えているのか。
そして、その行動が、会社の売上、利益、人間関係、組織、家族、事業承継に、どのような結果を生み出しているのか。
さらに、本人が自分の根っ子に気づき、行動を変えることで、現実の成果がどのように変わるのか。
これらを一つにつなぎ、見える化し、変化まで追い続ける。
この一連のつながりを、一つの実践体系として見える化、デジタル化する試みは、世界で初めてでした。

少なくとも、私の周囲には、「経営者の心の中をデジタル化してみよう」と言い出す人は、一人もいませんでした。
当然です。普通は、そんな面倒なものに手を出しません(笑)。
心は見えない。正解も一つではない。人によって違う。本人さえ、自分の本心に気づいていない。
それでも私は、「ないのであれば、作ればよい」と考えてしまいました。
これが、技術者の悪い癖です。普通の人なら避けて通る難題を見ると、私は、「これは面白そうだ」と思ってしまうのです。

根っ子が見えたら、癇癪玉が消えた

自分の過去の体験、根っ子、感情、判断、行動、そして現実に起きた結果を一つずつつないでいくと、今まで見えなかった因果関係が見え始めました。
会社や家族に起きていた問題の多くは、外側だけに原因があったのではありません。私自身の根っ子が、判断や行動を通じて、現実の問題を生み出していたのです。

私は長い間、「社員が分かってくれない」「子どもが言うことを聞かない」「なぜ、思いどおりに動かないのか」と思っていました。
しかし、問題は、周囲の人だけではありませんでした。
一番頑固で、一番扱いにくく、一番取扱説明書を読んでいなかったのは、私自身だったのです。

そして、自分の根っ子に気づき、その役割を理解し、受け入れ、行動を変えていくと、不思議なことが起きました。
長年破裂し続けていた癇癪玉が、まったく消えてしまったのです。
癇癪玉を無理に抑え込んだわけではありません。怒らないように我慢したわけでもありません。自分の奥にあった根っ子に気づくと、爆発する必要がなくなったのです。

影の根っ子は、私を苦しめるために生まれたのではありませんでした。子どもの頃の私を守り、生き延びさせるために必要だったのです。
ただ、昔は役に立った根っ子が、大人になった私の人生や経営を止めていました。
根っ子に気づけば、行動は変えられる。行動が変われば、人間関係も変わる。人間関係が変われば、会社や家族に現れる成果も変わる。
影の根っ子は、光に変えることができるのです。

生まれて初めて、学会で発表した

そして2026年8月30日、私は実践経営学会で、根っ子学の論文を発表しました。
私にとって、生まれて初めての学会発表です。周りは、大学教授や研究者の方々ばかりです。
私は51年間、経営者として現場を走り続けてきましたが、大学の研究者ではありません。飛行機、20万トンタンカー、製麺機なら、まだ話ができます。しかし、その日のテーマは、人間の心です。しかも、人間の心の中を見える化し、デジタル化するという話です。

発表する直前、さすがの私も少し心配になりました。
「こんな話をしたら、“藤井さん、ついに心の中へ機械を持ち込んだのですか”と思われないだろうか」
もちろん、心の中にUSBケーブルを差し込む方法までは開発していません(笑)。

発表が始まり、私は、根っ子学に至った経緯や考え方を説明しました。
過去の体験と心の根っ子。根っ子と感情、判断、行動のつながり。その行動が、会社や家族に生み出す成果。そして、根っ子に気づき、行動を変えることで起きる変化。

発表を終えると、予想していなかった反応が返ってきました。
多くの大学教授の方々から、驚きと称賛の言葉をいただいたのです。
「新しい視点である」「非常に興味深い」「これまでにない発想である」
多くの先生方が、根っ子学に強い関心を示してくださいました。
先生方が驚いたことに、私も驚きました。人間の心をデジタル化しようと考えた私より、それを聞いた大学教授の方々のほうが驚いていたのです(笑)。

しかし、その反応を通じて、私は確信しました。
私が取り組んできたことは、単なる自分探しではなかった。経営者の過去の体験、心の根っ子、判断、行動、そして会社や人生に現れる成果。それらのつながりを一つの体系として見える化し、変化まで追っていく。
根っ子学は、今までになかった、新しい研究分野であり、実践方法だったのです。

51年間のすべてが、一本につながった

振り返ってみると、私の人生は、三つのデジタル化でつながっていました。

最初は、デジタルマーケティング。
見えなかったお客さまの動きを見える化することで、早期に国内市場をカバーし、海外市場へ進出しました。

二番目は、Digital Cooking。
料理人の勘を数値化し、経験の浅い人でも、品質を再現できる仕組みを作りました。

そして三番目が、根っ子学。
人間の心の奥にある信念、価値観、恐れ、思い込みを見える化し、それらが判断、行動、人生や会社の成果にどう影響しているかを明らかにする。
この三つの中で、心の見える化、デジタル化が、間違いなく最も難しい挑戦でした。

飛行機には設計図があります。20万トンタンカーにも図面があります。製麺機にも仕様書、図面、取り扱い説明書があります。料理には、Digital Cookingによって数値化したレシピがあります。
しかし、人間の心には、設計図も取扱説明書もありません。保証書もありません。しかも、本人は自分の使い方を、ほとんど分かっていません。

私も77年間、説明書を読まずに自分を使い続けていました。正確に言えば、説明書そのものがなかったのです。
故障もしました。血も吐きました。癇癪玉は、何度も爆発しました。それでも、メーカー保証はありません(笑)。
そこで私は、77歳になってから、自分自身の取扱説明書を作り始めたのです。ずいぶん遅い製品開発です。しかし、その遅すぎた自分自身の研究が、世界で初めての根っ子学につながりました。

私の最大の失敗

私の最大の失敗は、失敗したことではありません。
会社の問題、社員の問題、家族の問題を見ながら、「問題の原因は、自分の外側にある」と思い続けていたことです。
本当は、外側で繰り返される問題の多くが、私自身の根っ子とつながっていました。

私は、世界中へ製麺機を販売しながら、自分の内側へは一度も出張していなかったのです。
海外出張には何度も行きました。アメリカへ行った。ヨーロッパへ行った。アジアへ行った。
しかし、自分の心の中へ入国したのは、77歳になってからでした。入国審査では、ずいぶん止められました(笑)。

でも、自分の根っ子に気づくと、人生も経営も軽くなります。過去を責める必要もありません。自分を否定する必要もありません。
根っ子が、なぜ生まれたのか。これまで、自分をどのように守ってくれたのか。そして今、その根っ子が、どのような問題を生み出しているのか。
それが見えれば、これからの行動を変えることができます。

あなたは、自分の取扱説明書を持っていますか

経営者は、会社の数字を毎日見ています。
売上。利益。原価。人件費。資金繰り。在庫。生産性。
しかし、その数字を生み出している経営者自身については、ほとんど測っていません。

なぜ、同じ問題が繰り返されるのか。
なぜ、社員に任せられないのか。
なぜ、後継者に口を出してしまうのか。
なぜ、家族の一言に腹が立つのか。
なぜ、頑張っているのに、心が満たされないのか。
その奥には、まだ見えていない「根本原因」、つまり「根っ子」があるかもしれません。

飛行機や20万トンタンカーより、自分自身のほうが、はるかに複雑でした。
しかし、自分の根っ子が見え始めると、人生も経営も変わり始めます。
私は、自分自身を知るまでに77年かかりました。皆さんは、そこまで待つ必要はありません(笑)。

51年前、飛行機と20万トンタンカーを設計していた技術者が、最後に挑んだのは、人間の心の設計図づくりでした。
そして、その設計図を世界で最も必要としていたのは、ほかでもない私自身だったのです。

何度倒れても、また立ち上がる。 ロッキー藤井でした。
発行人
ロッキー藤井(藤井 薫)
「世界中へ製麺機を売りに行ったが、自分の内側へ出張したのは77歳になってからだった。」

株式会社大和製作所 創業者・根っ子学®創始者。航空機・20万トン大型タンカーの設計から製麺機メーカーを創業。マーケティングと調理のデジタル化を推進後、自らの失敗体験を機に人間の心理パターンを可視化する「根っ子学」を確立。

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