根っ子の株分け
大和製作所から讃匠へ、そして恋里村の根っ子学へ
藤井 薫
根っ子学研究所 創設者 / 企業経営50年の知見
皆さま、おはようございます。
最近、私の中でとても大きな気づきがありました。それは、植物のモンステラから教えられたことです。
以前から、事務所にあるモンステラの気根が伸びすぎて、少し気になっていました。そこで、買った植木屋さんへ持って行き、相談しました。お店の方が丁寧に見てくださり、モンステラを三株に株分けし、三つの鉢に植え替えてくれました。
その作業を見ながら、私は不思議な温かさを感じました。ただ植物を植え替えてもらっただけではありません。植物の根っ子を扱うお店の方々と心が通い、私自身の根っ子まで温まるような感覚がありました。
根っ子は、土の中だけにあるものではありません。人と人との間にも、目に見えない根っ子があります。丁寧に言葉を交わし、相手の仕事に感謝し、命を扱う手つきを見ていると、自分の心の根っ子まで温まってくるのです。
根っ子は、切るものではない
モンステラは、一つの鉢から三つの鉢に分かれました。一見すると、根っ子を切り分けたように見えます。しかし、それは命を失わせる行為ではありません。適切に分け、整え、新しい土に植えれば、根っ子は新しい場所でまた伸びていきます。
株分けとは、命を切ることではなく、命を広げることなのです。
このことを見ていて、私は自分の歩みを思いました。「私の事業も、まさに根っ子の株分けだったのではないか」。そう感じたのです。
大和製作所で育った、最初の根っ子
私の最初の大きな根っ子は、大和製作所でした。機械設計から始まり、うどん、そば、ラーメンの小型製麺機を開発し、麺づくりの世界に取り組んできました。
そこで私が一貫してやってきたことは、職人の勘を見える化することでした。加水率、温度、熟成時間、茹で時間、食感。これまで職人の経験や勘に頼っていたものを、数値化し、デジタル化し、誰でも再現できる技術にしていく。これが、私の仕事の根っ子でした。
今思えば、大和製作所で育った根っ子は、単なる製麺機づくりではありませんでした。「見えないものを見える化し、デジタル化して、再現性を持たせる技術」。これこそが、私の人生を貫いている根っ子だったのです。
讃匠への広がり
その根っ子は、やがて讃匠へ広がっていきました。製麺機という機械の世界から、麺そのもの、食、店舗、地域、実演、自家製麺、そしてお客様の繁盛へ。大和製作所で育った根っ子が、讃匠という新しい鉢に植え替えられたのです。
これは、前の根っ子を捨てたのではありません。大和製作所の根っ子を土台にしながら、別の場所で、別の形として命を広げたのです。機械から食へ、技術から商売へ、製麺から地域の繁盛へ。これもまた、根っ子の株分けでした。
そして、恋里村の根っ子学へ
さらに今、その根っ子は、恋里村の根っ子学へと広がっています。今度は、麺ではありません。人の心です。職人の勘ではなく、人の心の暗黙知です。
加水率や温度や熟成時間ではなく、信念、確信、愛、感謝、祈り、使命、平常心。製麺の再現性から、人生・家庭・経営・承継の再現性へ。これが、根っ子学の大きな挑戦です。
最初に見えたのは、自分の根っ子だった
根っ子学を始めて、最初に見えたのは他人の根っ子ではありませんでした。自分の根っ子でした。
50年間、私は自分のことは自分が一番わかっていると思っていました。しかし、わかっているつもりだった自分の中に、見えていないものがありました。
きっかけは、私の中にあった癇癪玉でした。なぜ、自分はこんなに癇癪を起こすのか。それを突き詰めていくと、祖父に行き着きました。私の癇癪玉は、祖父由来のものだったのです。
それがわかった瞬間、心が軽くなりました。
そして、子供たちに厳しかった原因も見えました。それがわかった時、さらに心が軽くなりました。
50年間、私は子供たちに対しても、家族に対しても、他人に対しても、そして自分自身に対しても、優しくありませんでした。常に自分に過剰な負荷をかけ、それを当たり前だと思っていました。
見えてから、すぐにすべてが変わったわけではありません。徐々に、徐々に、氷が解けていくように。しかし、確かな変化がありました。
根っ子学に取り組んで、最も大きく変わったのは、他の誰でもない、私自身でした。
見えないものを見える化した結果、心が軽くなる。根っ子学とは、そういう技術です。
根っ子学の定義
私は今、根っ子学をこう定義しています。
根っ子学とは、人の心・家族関係・経営判断・事業承継に潜む「見えない根っ子」を、言語化・構造化・可視化・デジタル化し、再現性ある改善技術へ変える体系である。
これは、大和製作所でやってきたことと、根本では同じです。麺づくりでは、職人の勘をデジタル化し、誰でも再現できる技術にしてきました。根っ子学では、人の心の奥にある見えない根っ子をデジタル化し、人生や経営に活かせる技術にしようとしています。
根っ子は、人との会話でも温まる
昨日も、同じようなことを感じました。家内と一緒に、高松のレストランへ行きました。そこで、店の人と言葉を交わし、隣の席の方とも少し言葉を交わしました。ほんの短い会話です。
しかし、その瞬間、私の心の中に温かいものが広がりました。人は、言葉を交わすことで、見えない根っ子がつながるのだと思いました。
今の時代、同じ場所にいても、知らない人同士がほとんど話をしません。
- 店に入る
- 注文する
- 食べる
- 会計する
- 帰る
それだけで終わることが多い。しかし、そこに一言が加わるだけで、場の空気が変わります。
「美味しいですね」
「感じのいいお店ですね」
「今日はいい日ですね」
そんな短い言葉でも、人と人との間に、目に見えない温かい線が生まれます。それが、根っ子のつながりです。
根っ子は、自分の内側だけにあるのではありません。人と人が言葉を交わし、心を向け合った瞬間に、根っ子はつながり、温まり始めるのです。
昔は、家同士の根っ子があった
先日、近所の山田さんにお会いしました。86歳の女性で、昔からよく知っている方です。山田家の次男の嫁に来られ、ご主人は銀行員でした。そのご主人は、山田家の期待の星だったと聞いています。しかし、ご主人は48歳で亡くなられました。さらに聞けば、一人息子さんも公務員をされていましたが、12年前に同じく48歳で亡くなられたそうです。
私は、何と言って励ませばよいか分かりませんでした。普段はとても明るい方です。しかし、その明るさの奥に、どれほど深い悲しみと忍耐があったのかと思うと、胸が詰まります。
以前の私なら、こうした悲しみに気づけなかったかもしれません。しかし今は、明るくしている人の奥にある根っ子が、少し見えるようになりました。これも、根っ子学を深めた結果の変化です。
山田家のお婆さんのことも、私はよく知っています。私の祖父とも懇意でした。昔は、お互いの家を常に訪問していました。今は、そういう習慣はほとんど無くなってしまいました。
昔の地域には、家同士の根っ子がありました。
- 藤井家と山田家
- 祖父母同士のつながり
- 近所の家々のつながり
何かあれば顔を出す。お祝いがあれば訪ねる。不幸があれば手を合わせる。子どもの成長を地域で見守る。それは、今で言えば地域のセーフティネットだったのだと思います。しかし昔の人は、それを制度としてではなく、自然な付き合いとしてやっていました。
根っ子学で言えば、それは個人の根っ子だけでなく、家同士・地域同士の根っ子が温め合っていた時代です。今、その根っ子が弱くなっています。だからこそ、人は悲しみを一人で抱え込みやすくなっています。
地域の根っ子を温め直す
山田さんの話、レストランでの小さな会話、植木屋さんでのモンステラの株分け。これらは、別々の出来事のように見えます。しかし、私の中では一本につながっています。
それは、「根っ子は人と人との間にもある」ということです。
家族の根っ子、家系の根っ子、地域の根っ子、仕事の根っ子、事業の根っ子、心の根っ子。これらは、すべて別々ではありません。
昔は、近所の家同士が自然に訪問し合い、互いの喜びや悲しみを分かち合っていました。今は、その習慣が薄れています。けれども、店先の一言、隣の席の一言、道で出会った人への一言から、地域の根っ子はもう一度温まり始めるのだと思います。
根っ子学は、難しい理論だけではありません。
- 隣の人に一言声をかけること。
- 店の人に感謝を伝えること。
- 昔の家の話を聞くこと。
- 明るくしている人の奥にある悲しみに、そっと敬意を払うこと。
これも、立派な根っ子学の実践です。
事業承継も、根っ子の株分け
モンステラの株分けを見て、私は事業承継のことも考えました。
事業承継とは、創業者の根っ子を切り離すことではありません。また、後継者にそのままコピーさせることでもありません。創業者の根っ子を、次の鉢に植え替えること。後継者の土に合う形で、新しい命として育て直すこと。これが本当の承継ではないかと思います。
大和製作所を長男に託したことも、単なる引退ではありませんでした。それは、根っ子の株分けでした。そして、私自身は讃匠へ、さらに恋里村の根っ子学へと、新しい鉢で根っ子を伸ばし始めています。
会社を渡すということは、根っ子を失うことではありません。命の流れを、次の場所へ広げることです。だから、事業承継で大切なのは、株式や役職だけではありません。
- 親が安心して任せられるか。
- 子が自分の根っ子で受け取れるか。
- 家族や幹部が、その株分けを温かく見守れるか。
ここに、承継の本質があると思います。
今日のまとめ
根っ子は、切るものではありません。整えて、分けて、新しい鉢に植えれば、命は広がります。植物も同じです。事業も同じです。家族も同じです。地域も同じです。人の心も同じです。
大和製作所で育った根っ子は、讃匠へ広がり、今は恋里村の根っ子学へと広がっています。
そして、私がこれからやりたいことは、見えない根っ子を見える化し、デジタル化し、人生・家庭・経営・承継を再現性ある形で整えることです。
麺づくりでは、職人の勘をデジタル化してきました。これからは、人の心の根っ子をデジタル化し、誰もが自分の根っ子を理解し、家族や会社や地域の根っ子を温め直せる時代をつくりたい。
根っ子は、目には見えません。しかし、確かに人を支えています。そして、自分の根っ子が見えた時、人は変わり始めます。言葉を交わし、感謝を伝え、心を向け合った時、根っ子は温まり、また新しい命として広がっていきます。
今日も、皆さまの根っ子が温かく整い、周りの人との根っ子が少しでもつながる一日になりますように。
